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視察報告平成23年4月27日(水)
福島県双葉町の方々の避難所である旧騎西高校視察


被災地に伺ってその状況を見、ボランティアをしながら課題を探ってきた。しかし、埼玉県に避難している方々の状況を知らねば、足元を見つめないことになる。すでに震災関連で埼玉県も4億円くらい支出していると聞く。そのために訪れた。

4月27日 副町長さん、教育長さんが対応してくださった。以下、話し合いの中から
 東京電力福島第一原発の周辺に位置する福島県双葉町。町内全域が原発から半径20キロの警戒区域に入るため、町全体で避難。最初、スーパーアリーナに避難した段階では4000人くらい。その後、約6800人いた双葉町の方々は、現在3か所にわかれて避難している。スーパーアリーナに避難できる期限が、3月いっぱいだったので、加須市の協力を得て、約1200人の町民が旧騎西高校に避難している。少しの間の避難だと思っていたが、長期戦になってしまった。役所も議会機能も旧騎西高校で行っている。町民が分散してしまうとコミュニティーが壊れてしまうし、その後の支援もしにくくなると考え、まとまって避難することを選択した。
 ここに避難している子どもは加須市で受け入れてもらっている。幼稚園22人、小中学生156人が加須市立の学校に通っている。また、高校生も20人くらい近くの高校に自転車を用意してもらって通っている。小中学校は5クラス分増えた。先生は8人増やして対応してもらっている。そこで双葉町の先生も小学校4人、中学2人、幼稚園に3人、併任の扱いで赴任させた。また、ALTの先生は双葉町のお金で雇った。
 着の身、着のまま避難した人、きちんと用立てしてきた人と差がある。校庭には町民の車が並んでいる。義援金として町から3万円/人、国・県からの義援金が40万円/人、それに東京電力からの補償金が出る。(それで足りるわけではない。)
 あと6〜9カ月で原子炉の管理ができるようになるとの話なので早く戻りたいと期待しているが、仮設住宅は福島県内に造るとのこと。このあたりで借り上げ住宅を用意してもらえるとよい。希望は100何十世帯ある。
 食事は朝、昼、晩幕の内弁当である。(それ以前はおにぎりなどだったので)幕の内弁当のおいしさを知って、ありがたいと感謝している。温かいものを食べたいという希望があるが、難しい。朝6時15分に学校の調理室を利用して小、中、高校生にのみ味噌汁を提供している。また、放課後も同じく学生にのみ味噌汁を作って出している。所詮調理室だけでは町民全員には用意できない。子どもに限らせてもらっている。木曜日はJAが来て、(何かを)作ってくれている。お風呂は近くのスーパー銭湯みたいな所へバスが出る。大人は300円から500円と有料、子どものみ無料で提供されている。また、学校の合宿所にある風呂(10人くらいは入れる)は4月27日から提供を開始する。幼児を持つ母子の利用とするつもり。埼玉県として学校まで下水を通し、トイレの整備と仮設のお風呂を整備する予定。下水は何百メートルか田んぼの中の道を掘って国道まで通す。
 今後暑くなってくる。(事実、4月27日でも西日の当る部屋は人の熱気で暑かった)クーラーを6月までに入れるようにお願いしたい。また、網戸の必要もあるのだが、網戸の生産がこの震災でストップしている。どうにかしたい。
 農家もたくさんいるが、塩害があって3年は難しいだろう。埼玉県で農業をやるための受け入れも策を練られているとか。ボランティアの受け入れは今までは加須市がやってくれた。これからは双葉町が引き継いでいく。加須市近辺の求人は多いと思う。しかし、帰れるという思いから仕事に就けない。いつ帰れるというめどが見えないので、中途半端な状態だが、人間は働かなければやはりよくないものである。雇用をしっかり確保し、その上で働かないのは個人の責任である、としたい。
 教育長は、まず、子どもの心の健康を確保したいと言っていた。

[藤本感想]
 白い帽子をかぶった台湾の宗教団体が、毛布を始め救援物資を調達し、運び、活動してくれていた。また、地域の一般のボランティアの方々は、黄色いTシャツと帽子をかぶって活動してくれていた。特に白い帽子の方々は、大人数なので聞いてみた。すると台湾の人々なのに、皆日本語ができる。聞くと新宿から来られたという。新宿に住む台湾人の仏教徒が救援活動のため、物資を持ってバスでやってきてくれていたのだ。證厳法師を師と仰ぐ、「慈済」という仏教徒の団体であった。慈済法師は2007年第24回庭野平和賞を受賞されている。自分は思った。宗教は活動と結び付いたとき政治と同じになる。いや、むしろ政治より強いと。みんな、ニコニコしながら私たちにも対応してくれる。あいさつも、日本人より深々と頭を下げて会釈してくれる。こういう活動があることを 私たちは銘記しなければいけないなぁ、とつくづく思った。台湾の人々が、日本人の危機のために頑張ってくれている。有難い、と心から思った。
 被災地の中の避難所と、被災地からは遠く離れた埼玉県の中の避難所とで違いがある。また、いつ帰宅できるか、そのめどが立たないことが津波被害の避難者と違うところである。それが一層避難者の立ち直りを困難にしているとも言える。双葉町からの避難者には、お金を持って避難している家族も多い。毎日、幕の内弁当で温かい汁もない中、時には近くのお店で家族で食事もしたくなる。ところが、そういうことをしていて、騎西の人から白い目で見られたという人が多い、というのだ。「避難者なんだから避難者らしくしろ」という空気である。避難して埼玉県の施設を借り、埼玉県や加須市の世話になっている身なのになぜ外食などしているのだ、という非難である。そういう双葉町の町民からの訴えに、副町長さんはこう答えたという。「そう言われてしまうのは、私達、双葉町の町民の日ごろの行いが、そうさせてしまっているのではないでしょうか。我々はもっと身を慎んで、できることは、自分でしていく姿勢でがんばらねばいけないのだと思います。」と。
 私は聞いていて申し訳なく思った。確かに、働き口もないし、家もなく、いつ帰れるかわからないままの避難所暮らし。役割もなく1日体を動かす必要もない。そんな中、ボランティアがせっせと働き、例えば、頑強な男性が避難者ということで、ぼさっとしているのは、周囲の人たちからみると解せないものなのかもしれない。しかし、やるべき仕事や役割がなければ、意欲的に動けなくなってものなのだ。先が見えないのでどうしようもない。ある意味では、家などを津波で持って行かれた人々は、「その場所に家や町を立て直そう」とか、具体的な目当てがたてられる分、目標があるとも言えるが、ができ、立ち直りもできるものなのかもしれない。話し合いの中で副町長さんが雇用の確保と自己責任と言われたのはそういうことなのだった。
大きな教室や柔道場で寝泊まりする人々。プライバシーは全くなく、そういえば、着替えをするのも難しいのであった。大人数で避難しているので公平に温かいものを提供することも、お風呂を提供することもできない。コミュニティーと役所機能は確保されるが、生活の快適さは全く制限されている。この後、何カ月このような状況が続くのか? はやくアパートや公営住宅などなるべく近所になるべくばらばらにならない距離で住めるようにすることが大切だ。そして雇用であろう。被災地に行って、その後騎西高校を見たわけであるが、この地元埼玉県内でも被災地に負けず劣らない困難な状況がある、ということが分かった。 


ハローワークが設置された

資金について相談する場所

教室が議会などに代用

職員室は町の役場に代用

トイレは外の仮設

柔道場の被災者 プライバシーはない

台湾の仏教団体の支援

壁には応援メッセージが

双葉町副町長と教育長

簡易更衣室 廊下に2カ所くらいあった

1日2回 小中学生のための風呂行き無料バス

体育館の救援物資 町民しか出入り出来ない

鍼灸師会と接骨師会のボランティア

左から諸井議員、私、高橋議員


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