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視察報告平成19年11月21日(水)〜22日(木)
産業労働企業常任委員会視察報告

□1.新潟市水道局 (11/21)
□2.(財)新潟県県央地域地場産業振興センター
□3.松本機工株式会社 オリロー

1. 新潟市水道局
   −太陽光発電と高層タンクに水をためて停電時でも配水できるよう備えること−

新潟市信濃川浄水場をたずねた。目的は上記の点だが、市町村合併により膨れた市水道施設の統合のお話も伺った。
新潟市は平成13年の黒崎町編入を皮切りに17年の巻町との合併まで14市町村と合併を繰り返しこの4月には政令市にまで大きくなった。水道も旧新潟市の3浄水場、4配水場から13浄水場、17配水場に膨れ上がった。そこで給水人口、給水量の見直しを行った水道施設の統合計画を作った。今後、平成20年度、21年度、そして25年度と施設を廃止し、6浄水場、12配水場にまで縮減する計画だ。さて、信濃川浄水場は平成17年10月に出来た新しい浄水場。敷地面積9ha、能力は8万m3/日、総事業費260億円をかけた。浄水過程における沈殿池に藻が生えるのを防ぐため覆いをかけねばならない。

その覆いを太陽光発電のパネルで代用したという。発電量は100kw、施設の2〜3%をまかなう。綺麗に浄化された水は高架配水塔にためられ停電時でも高低差を利用し30分間分は配水できる。新潟市はなだらかな平地なので、施設自体も盛土で数m高く作り、さらに高層塔は高さ53m(建物の上部で)。ろ過されてたまった土は天日干しされ園芸用の土として利用される。なお、災害用にパック詰めされた水を90円で販売している。『柳都物語』と名づけられた。なかなか好評らしい。水はなんとパック詰めのためにいったん秩父にある株式会社「源流水」に持ち込まれ、そこでペットボトルに詰められているとか。先日行った須坂市の水「????」も秩父で詰められていた。秩父市の株式会社「源流水」は、となると日本各地の水の一大拠点だ!!

秩父源流水 
われらが所沢市の水道水は9割が埼玉県の大久保浄水場から来る。大久保浄水場は給水量130万m3で17団体、約350万人に給水しているので規模は違うが、よい勉強になった。

信濃川浄水場 大久保浄水場


2. 新潟県県央地域地場産業振興センター(三条・燕地域メッセピア・三条・燕地域リサーチコア)
    −ものづくりを支え地域の中小企業をどう支援していくのか−

新潟県央地域のものづくりを支援し、場を提供する。ブランド確立とその発展支援、そこに人を呼びマーケット拡大に資するためにリサーチコア・メッセピアは出来た。
まず昭和61年38億円をかけてメッセピアが出来た。地場産センターは全国41箇所にあるというから、こういうのは国の動きだったんだろう。新潟には十日町市にもある。埼玉は秩父にある。旅をしていると時々「○○じばさんセンター」とある。じいさんばあさんの集う集会所なのか、と昔思ったことを思い出した。

さて、このセンターは出えん金4400万円で出発。新潟県、三条市、燕市がともに1000万円ずつ出えん、その他は商工会議所や地元食器、金属組合などで持つ。メッセピアの総事業費(含む土地代)は約38億円。その後、信用保証協会が入り、税関も入ってきた。平成11年にはリサーチコアを作った。事業費は18億円で完成。メッセピアは地元産業の売出しを中心に、リサーチコアは企業支援を中心に事業を展開している。@に受発注の斡旋、Aに人材育成(技術、デザイン、情報研修)Bに企業に対する相談活動、商品開発の支援を行う。また、制度融資を利用するときの相談にものっている。職員数は51人。市職8人、プロパー29人、その他臨時職。年間事業費は5億7000万円。補助金で3億1000万円を三条、燕両市から得ている。地元洋食器などは中国に押されているらしい。その支援も期待されている。

見学して、三条、燕両市の力の入れように驚いた。どちらもそんなに大きな都市ではないのに、それだけの予算をかけるところに、地場産業によってたつ町の意識がうかがえた。埼玉県では県・産業労働部が同じ役割を担っているところ。がんばってほしくなってメッセピアで大枚はたいて包丁を購入した。これで魚をさばこう!!その前に釣りをしたい!!

新潟県県央地域地場産業振興センター


3. 松本機工株式会社 オリロー
    −県として、ものづくりの技術と心の継承を如何にするか−

小川町出身の県議、松本恒夫産業労働企業委員長の勧めで、避難具のシェアを一手に引き受ける松本機工燕工場を訪ねた。社長自らの出迎えの後も、会議室での説明、工場案内と全て社長が受けてくださった。昭和一桁のお方ゆえ説明も全て起立の説明、どうぞお座りくださいの委員長の勧めも辞退され、会社にかける社長の意気や如何ばかりかと感得する我ら一行。お父上の代から消火器を工場で作ってきたが、大工場の製品に押され、「火を消す」ところから「逃げる」器具をと、避難具の生産を始められた。
社長の信念は「よいもの」を作るということ。こっそり技術を盗んで台湾などの会社が幾つも立ち上がったが、結局不具合が出て撤退。何百回の試運転を経て製品を出す松本機工にはかなわなかったという。この種の製品は不良品は許されない、だから何百回と試しをしてそれで大丈夫な製品を作らねばならない、とは社長の訴え。避難具はさまざまな基準があり、降りる速度も速すぎず遅すぎず、100kgの私が乗ってもびくともせず、安定して少しずつ降下する、そんなオリロー緩降機が開発されたのであった。その他、ビルのハッチが開いて下の階まではしごで逃げる器具やパラシュートも見学した。工場は3階建てで1階から3階まで工程に合わせて、塗装、溶接、研磨から組み立てと、完成までを同一工場内で作り上げる、まさにマニュファクチュアを地で行った企業であった。
敷地内には50m級の高層実験棟があり、そのてっぺんからはみぞれ舞う燕三条近辺の光景が一望できた。
社員教育も社長の行き方を真正面から伝えていってるんだろうなあ、日本のものづくり会社の真髄を見た気がした。なお、工場内にはボーリングレーンが2レーンも設置され、実業団で優勝も果たしたばかり。裸一貫、ではないが、社長、会社、社員、人生がひとつになった、熱い会社を見せていただいた。

松本機工株式会社


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