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視察報告平成19年11月20日(火)
自民党二期生による視察

□1.長野市中心市街地活性化計画
□2.須坂市中心市街地活性化計画

1. 長野市中心市街地活性化計画

どうすれば中心市街地は活性化するのか?また、なぜ多くの町が活性化計画をつくろうとしないのか?
街づくり3法が平成18年改正された。シャッター通り化する商店街、高齢化して近くに店が必要になった状況をみて、国は中心市街地活性化とコンパクトシティー作りを目指しはじめた。そして、中心市街地活性化計画を策定してほしい、そうしたら国の補助も出るから、と市町村に呼びかけている。しかし、市町村であえて中心市街活性化計画を策定しようとする自治体はまだ少ない。県内では今年度中に国に申請しようとしているのがさいたま市と川越市。来年度を目指すのが小鹿野町、熊谷市、秩父市である。しかし、他の自治体はこれに追随しようという気配がない。いち早く国に申請し計画を作った長野市と須坂市を訪ねた。

★長野市(人口38万人)(株)まちづくり長野
長野市は18年度の改正以前からTMOによる中心市街地活性化のための施策を進めていた。ダイエーやそごうが撤退し、さらに人口の流出もまた顕著だったからだ。
そこで視察では中心市街地活性化計画つくりというより、具体的な施策についての説明を(株)まちづくり長野の越原氏に受けた。

以下要点。
平成11年中心市街地活性活性化計画策定。
平成12年、ダイエー撤退、そごう倒産。
平成14年、TMO認定。
平成15年1月、(株)まちづくり長野(商工会議所、企業、商店街等出資5000万円)設立。  当初の目的はダイエー跡の復興であった。
同4月、ダイエー1階にTOMATO館(食品館)設立。まちづくり長野の直営。
同6月、旧ダイエービルを「もんぜんぷら座」とし市のNPOその他の活動拠点に。
平成16年、長野市も500万円出資。
平成17年、「ぱてぃお大門」オープン。
平成18年9月、そごう跡に「トイーゴ」オープン。長野市中心市街地活性化協議会設立。

まちづくり長野にはイオンから人を抜擢して、その方(服部氏、越原氏)が中心でダイナミックに動いてきたようだ。計画では200haを位置づけた。人口流出が多く、小学校も1校廃校になる。まちづくり長野はTOMATO食品館の運営、ぱてぃお大門の運営、駐車場の運営を主にしている。そこへこぎつけるまでの苦労と手腕が貴重であった。

長野市は平成10年のオリンピックに備え、善光寺参道を横切る3m道路を10m以上にした。また郊外都市計画道路も整備した。また、善光寺をはさんで商店街の反対側にある蓮池地帯を売ってしまった。売られた後は大型バスの駐車場になった。
それらによって、参拝者の足は商店街に向かなくなり、向いても大通りでさえぎられてしまった。また、郊外には大規模店舗が道路沿いに進出し、中心市街地は壊滅的になった。ダイエーの撤退、そごうの倒産も厳しい。住民は郊外に居を求め流出し、1小学校は廃校になる。

そのような中、ダイエービルを復興し、そごう跡を再生し、空き蔵、民家を再生したテナントミックス商店施設「ぱてぃお大門 蔵楽座」をつくりあげてきた。商店ががんばっても人がいなければ話にならない。今は表参道の両側にマンションが建つようになった。入居者は高齢者が多いが、それでもいい。また県の役割は周辺市町村との調整と聞いた。周辺市町村が長野市近隣に大型店を立ててしまっては、努力の甲斐もないからだ。
ぱてぃお大門 蔵楽座

がんばっている姿を目にし、中心市街地活性化とは旭川のときと同じような、テナントによる人寄せ施設しかないのかなあ、と思った。
所沢市も「井筒屋まちづくり商店」と「とことこ市」がそれである。人を住まわせるために商店を高層ビル化し、セットバックして広い歩道を作り人が散策できる空間を作ろうと、なんと20年位前から住民自ら組合を作って計画し、それが市街地再開発事業になっている。ビルが批判され、経済的にペイされず、途中で頓挫しそうに見える再開発事業は、今全国の注目の的の長野市に比べても絶対にひけはとらない、と自分は感じた。
 まちを活性化する万能薬はないのだろうか?長野市中心市街地計画区域内ではそのほかにも事業を今立てているということだった。いずれ人口減少は来る。車で移動する世の中、きっと中心市街地の商店適正規模というのもあるのだろう。そんなことを長野駅まで続く商店の多さを思いながら、歩きながら考えた。


2.須坂市中心市街地活性化計画

須坂市がそんな特徴を持つとは知らなかった。
長野電鉄の車内では「蔵の町須坂」とアナウンスがあった。ロマンスカー(またはビスタカー)や東急東横線を髣髴させる長野電鉄で須坂駅を降りると、張り詰めた山風に冬の日差しが温かく迎えてくれた。
 さて、蔵の町須坂市は人口5万強。明治5年、富岡製糸工場によって西洋の製糸技術が伝えられると北信地域でも器械製糸が始められ、須坂にも明治7年には製糸工場ができた。
以後諏訪と並ぶ産地として昭和初期まで栄え、土蔵造りの豪華な町屋が建てられた。現在歴史的建造物は347軒、うち土蔵造りは200軒を超える。

以下要点。
歴史的景観保存対策事業
昭和61年、住民有志によって「須坂町並みの会」結成。 町並み調査を市も始める。
平成4年、「須坂地区歴史的景観保存対策基本計画」策定
平成5年、「(同)補助金交付要綱」を市単独事業として開始。対象地区33ha。国も「街    なみ環境整備事業」創設。
平成6年、「まちづくり要綱」策定。「街なみ環境整備方針」策定。そして区域を      48haとして国に申請、承認。
平成7年〜「街なみ環境整備事業」実施。つまり小さな公園を作ったり、トイレを作ったり、道路美装化、「まゆぐら」など生活環境施設整備などをしたり、歴史的景観保存対策事業として家の修理、改築の助成事業を開始した。
平成9年、まちづくり協定を締結。
景観を大切に残す住民協定を市内4地区で結んだ。とくに中心市街地48haでは15地区に分け、促進区域として国の事業を適用している。
平成7年〜平成17年までで193戸、5億5000万円の助成が行われた。
市では平成22年まで期間延長を申請した。

歴史的景観保存対策事業は区域内のまちづくり協定を結んだ建物の修理(伝統的建造物と認められた建物の外観等の修理)、修景(それ以外の建物の改築などで外観に要する経費、工作物、広告、石垣、側溝、石垣などの改良に関する経費)を助成するもの。 たとえば修理事業なら限度額500万円まで、修景事業なら建築物300万円、工作物50万円限度である。(すべて経費の2/3以内の額について)

○蔵の町並みキャンパス構想
 市から働きかけた。須坂には大学がない、若者の集う町にしよう、そして大学の手も借りたい。企業にも反映してもらおう。そんな発想から近くの大学、高専に声をかけ、須坂市の建物を使って授業、研究をしてもらうことにした。
 平成17年8月〜10月に研究会を設置し、11月には蔵の町並みキャンパス推進協議会を結成。運営資金確保、大学に声かけ拡大、関係機関の連携、調整活動などを行った。
たとえば長野電鉄に学生の運賃を安くしてくれと交渉したり、企業に寄付を募ったりである。運営資金は市から100万円、企業からも100万を目指し、14社1団体から100万円を集めた。 そして1年間で「民家の再生」「街区の再生」をテーマに授業したり、「まゆぐら」再修景計画を授業化したり、小学生を巻き込んだ授業をしたりしてもらったようだ。
 課題は、寄付した企業の求める産学連携。授業を通した成果の実現化。運営資金確保。参加大学の拡大などとか。


・須坂市は小さい市であるが、することは、どでかいとびっくりした。
市独自で歴史的景観保存対策事業を始めてしまい、国の事業を利用し拡大、住民もそれに応え多くの人がまちづくり協定に同意したり・・・。助成は5億5000万に上る。
この2年間は申請がないというが、当時の市長は思い切った決断をしたものだとつくづく感じた。
 大学生の力を借りるという試みは隣の高山村、小布施町でも行っているようだ。蔵の数もどう見ても川越より多い。隣の小布施よりも古い町の感じもする。町全体が山麓の傾斜地といった感じで景色もよい。そんなところを生かして、善光寺ツアーとセットで旅行会社に掛け合い、観光地として売り出せればなあ、と思った。
 ところで蔵の町の川越もいまや昔からの店は少なく、多くが観光客相手の小売店である。店主もよそから来た人が多いに違いない。長野善光寺、須坂市、川越と観光地を目指すところが中心市街地活性化計画を作る傾向なのか? 生活都市ではそれはかなわないのか? よそから来た人に店をやらせるのでよいのか? そんなことをいっていたら経済は語れないのかもしれない。まちづくり長野の越原氏も「ぱてぃお大門に来たお客さんにアンケートをとったら、6割は長野市民だった。しかし、目的を聞くと『観光』に丸がつけてある。観光気分で来ているのならそのように買い物をさせるように店作りをしなければならない。」といわれていた。 今日に新聞には遊休農地とシャッター商店を比較した面白い考え方が載っていた。
 そんなことを考えさせられた自民党2期生としての視察だった。

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