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平成21年11月16日 第24号
事業仕分けのニュースを見て

これじゃぁ、まったく同じじゃないか!! 
そう思った。カメラがぐぐっとズームアップする、テレビ画面に蓮舫氏の顔が映し出される。事業主体者に矢継ぎ早やに質問が浴びせかけられる。ゆっくり答える隙は与えられない。イエスかノーかの簡単な答えのみ期待しているようで、事業内容を理解しようとしている感じはしない。
テレビの申し子は十分カメラを意識して、詰問したに違いない。それとももう無意識に体に染みついているのか? 前政権のしがらみの産物、旧弊の象徴とされる事業とその担当者を、改革のジャンヌダルクは正義の刃で責めていた。血も肉もきっと体を駆け巡っていたことだろう。
ある省庁関係者は、公開処刑、と評したという。無駄を削れと3兆円を超える目標を掲げられた仕分け作業。体育館で行われる「事業仕分け作業」は一般傍聴者にも解き放たれ、四角形に配された座席の一辺に座る仕分け人の対面には何台ものカメラが陣取っている。朝まで生テレビを髣髴するそのやり口は、さすがわかりやすさと国民にアピールすることを忘れない民主党らしいな、とつくづく思う。
 でもこれじゃあ、なにも変わっていないじゃないか?!
小泉改革に対する反動として、世論は、温かさ、を求めたのではなかったか? 机上の論理、理屈、理念だけでバッサバッサと改革するのではすまされない、もっと、その場にいるどうしようもない人間の現実、生身の声に耳を傾けようではないか、ということを求めたのではなかったか? それがたとえ小さな声、少数者の声であっても、だ。それともそれは自分の勝手な思い込みか?
改革するは我にあり。しかし、放映された事業仕分け作業の映像は、改革という錦の御旗を振りかざし、絶対優勢の状況の中で物言えぬ弱者を傷めつけているように、冷たく私には映った。
 しかし、テレビのコメンテータは、それでも公開で行われていること、こうやって膿が出て税金の無駄がなくなることを好意的に評価していた。きっと絶対優位の中で公開(衆人環視)で行うほど、いじめに似て冷酷、卑怯なことだとは感じなかったのだろう。劇場型政治に踊らされたこと、いや、その片棒を担いできたことを反省したマスコミではなかったか? 性懲りもなく、やはり劇場に魅き寄せられてしまうのか。
旧政権の悪弊は、いろいろさまざまな人々としがらんでしまい、にっちもさっちも身動きできなくなってしまったことだ、と私は思う。あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たない。わかっているけど変えられない。それが結局あちらからもこちらからも愛想を尽かされることになったのだろう。だから、新勢力の政権がまだフリーのうちに、日本にとって必要なことを実行する、のは、きっと良いことなのだ。
無駄を排すために鉈(なた)をふるう。これは、必要なことだ。でも、そこに慮り(おもんぱかり)が欲しいのだ。その事業を必要とする人々がやはりいるのだということも、そして、その事業に携わって、人生を重ねてきた人々も必ずいるのだ、ということも、やはり忘れてはならない。懊悩までは求めぬが、少なくも十分それを感じたそのうえで、問い、自問し、決断してほしいのである。それが今の日本に必要とされる、温かみ、なのではなかろうか? 
 今を時めく政治家たちが決然と行う注目の事業仕分けだからこそ、そんな颯爽と演じないで、もっと格好悪く歯切れ悪く、汗みどろのぼろぼろでちょうどよいのだ、と私は感じた。
 な〜んて、ここまでしっとりとした気持ちで書いてきたが、はたと気が付いた。
そもそも事業仕分けなんかしなければならないその元凶は「子供手当て」だったのだ!!これのために、財源がいっきに足りなく、なったのだった。 子どもがいたら26000円/月。費用対効果はいったいどう説明されるのか? これこそ事業仕分けされるべき事業の筆頭なんではなかろうか!! 高校もタダでいったいどうするのか?! う〜ん、むむむ。
 気づいて絶句、すべてご破算である。
埼玉県議会議員 藤本正人


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