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平成18年8月17日 第15号

全教教育研究全国集会に参加して


17日は全体集会で18,19,20日と分科会がある。自分は17日しか行かれないのでその報告だけいたします。
実行委員会代表や埼玉実行委員長の話を聞くと、やはり全教という「組合」なんだなあ、と感じた。埼玉の実行委員長は労働組合の議長なんだから。
「みんなで21世紀の未来を開く教育の集い」というのが大きなテーマであるが、副題は「すすめよう!憲法・教育基本法・子どもの権利条約に基づく教育を」であった。そして、舞台の前面に設置されたスローガンは「教え子を再び戦場に送るな」であった。
特に第一部の実行委員会の挨拶では、教育基本法改定に対する危惧が表明されていた。それはわかる。教育基本法を本当にきちんと実行すれば、良い教育ができるし、憲法の精神をも実現できる。むしろその実行ができていないのだからそちらを、というのは僕もそう思う。

ただ、自民党は、教育基本法ができた当初から、あれは占領軍によって作られた、そういういう影の濃い法律であるから改正したかった。また、個人の自由ばかりが進み、公共心とか道徳的な心とか、そういう精神がないがしろになってしまったから、生涯学習とか環境とかそういう新たに必要になってきた概念と共に、公徳心のようなものを盛り込んで、今の教育を立て直そう、と思っているにすぎないのだ。(そう、僕は数年前に自民党青年部の集会で文教部会の長であった保利耕輔議員に質問し、確かめてきた。)
愛国心に集中して、それでは時の政府の恣意的介入がされてしまう、と危惧しているが、それほど深い意味も実は自民党の方も考えてはいないのである。
そして、現実として、個の自由、そのはき違え、道徳的心持ちの欠如は今の教育の課題であり、放置することはできないのである。
だから、教育基本法については僕はそれほど強い反対の意思はもてないでいる。もちろん賛成の意思もであるが。

今日、ここに来た大きな目的、僕にとって気になることは、そういう個の自由、自由のはき違え、道徳心の欠如は、教職員組合の思想が生産してきたものなのか、ということである。果たして組合の思想を突き進めるとそういう人間が作られていくものなのか。教育基本法改正賛成者が口をそろえて言うように、である。

自分が中学教師だったときは組合の先生もそうでない先生もあるべき理想、それを体現する学校環境を作るべく共に努めていた。目指すものに違いはなかったように思える。組合の先生も公徳心を身につけようとしていたし、秩序を尊重していたし、我慢させる必要も感じていたし、そういう中でみんなが仲良い集団づくりを目指していた。そしてわれわれの共通する敵、阻むものは、社会風潮、マスコミによる扇動、経済至上主義で子どもを餌食にして省みない商業戦略、そして、理想だけを言いそれを押しつける人権弁護士だったような気がするのだが。

果たして教育基本法改正賛成者が口をそろえて言う、「戦後教育=組合思想が教育をダメにした」と言うのはどうなんだろう、それを確かめに行ったのだったが、答えは見つからなかった。

ただ、話を聞いてきて強く感じたことはあった。
一つには思考法の旧態然たること。スローガンからも感じることだが、旧態然とした思考回路、発想にしがみつきではないか、ということだ。もっと現実的な、教師みんなに共通した現実的なニーズがあるではないか、なぜそれを旧態然の思考法で割り切ってしまうのかと思った。

組合も「学力テストは国による子どもの選別、学校のランク付け」というワンパターンな思考はやめにして欲しい。また、対当局(文部科学省、地方の教育委員会)で思考するのもやめにして欲しい。文部科学省だって経済の要請、目先の利益を追求しがちな社会風潮に抗おうとしてがんばっているのに、つまり敵はそこにこそあり、共に連帯してそれにこそ対抗しなければならないのに、内輪もめしていたら簡単にやられてしまうぞって思ったのである。
また、やっぱり政治的すぎる、ということ。

新婦人の会ほか一緒にやっている団体はみな労働運動のグループではないか。教師の組合が未だに労働運動のためのものだとしたらそんなものもういらない。教育者の組合は、子どもを中心に据えて理想の教育、理想の学校を目指すための集団でなければならないと思う。労働運動から離れるべきだ。

そんなことを実行委員長やそのほかの方々の話を聞いて思った。
なお、藤本義一氏はやはり話がうまかった。支配層に飲み込まれない生き方を支持しながら、観衆を引きつけ、愛国心の問題その他の今のテーマに触れながら、チクッ、チクッと教師に対する期待と鋭い注文を突きつけるお話だった。


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