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平成18年8月16日 第14号
首相の靖国神社参拝報道について


15日の終戦記念日、ついに小泉首相は靖国神社に参拝した。

靖国神社とは、とか、憲法は、とか分祀か合祀か、とか、そういう論議ではなく、
この数日間のマスコミの放送とそこでコメントする人々を見てきて、感じた。
今は、コメント政治なんだなあ、と。

「小泉さんがこう言ったけどどう思いますかあ」ってすぐ中国や韓国に聞く。
聞かれればそりゃ良くないって言うしかない。
そこで今度は「中国や韓国の要人がこう言いましたよお」って、放送し世論を掻き立てる。
場合によっては、そのコメントを小泉さんに伝えて、「どう思いますか」と聞きだす。


そうやってコメントごっこをする。
コメントの応酬はテニスの応酬に似て、見ていてそりゃあ、面白い。
番組作りに貢献するだろう。
けれど、これじゃあ、国と国の関係が良くなるはずもない。
さらに、国内の議員が立場の違いから批評、コメントして自分らしさをアピールするから、
なおさらこんがらがってくる。
前進しようはずもない。
たとえば民主党の右派の人なんか賛成じゃなかったのか知らん、と思ってしまう。
でも、「同じです」なんていったら、違いがなくなってしまうから、
違う意見を無理やり探しているみたいだ。

人間関係だって、「あいつは先日、君のことこう言っていたぜ。」なんていうのはご法度だ。
そういう類の話が好きな人がいて、そういう人がいると人間関係が悪くなる。
そういうお騒がせ屋っているものだ。
でも、そういう人も単純なわけではない。
概して自分に有利になるだろうと思ってそういう情報を流しているものだ。

この問題も、保守に反対する国内の人々が、
「靖国を首相が参拝するって事は、戦争を正当化し、軍国化することなんだよ」って、
あえて意味づけて韓国や中国に伝えたのがきっかけなんだろうと思う。
そう言われりゃあ、そう解釈できるし、「許すことはできない」ってことになるしかない。
後は、そのたびにそういう情報が来て、
それは許しがたい→それだけはやめてほしい→それをするなら絶交だ、
と高じていくしか道はなくなってしまったのではないか。
そう思った。

説明責任なんて言葉もすでに流行って久しい。
が、これとてマスコミの番組作りのために都合の良い言葉である。

政治である。
何もいわずじっくり考えて決断することは、あるものだ。
黙して語らず、従容として批判を受け入れる態度ってのもあるのである。
そうしなければいけないときだってあるのである。

さて、
このようにコメント政治主義を批判している自分ではあるが、
翻って見れば、今回の議会報は所沢市と市議会議員が可決した
『歩きタバコ禁止条例』を批評することで記事にしている。
自分が参加していない、責任もないが権限もない世界について、
コメントすることで自己主張をしている。
つまりこの上なく無責任なコメント、なんである。
自分でも気づいてはいたが、
やはりこの手法はあまり良い結果は生み出さないのかもしれない。
反省しなければならない。

以上、小泉首相と一連の報道を見てきて、感じたことでありました。


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