平成17年8月25日 第七号
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議員になっていつも大勢(主流派)と同じ意見を持つものは幸いである。自分は大勢と違う意見を持つことがままあり、そのたびに悩んできた。そして、こう思うようになった。 「政党がまずあって、その後に議員(ひと)が来る、のでは、絶対にない。」 我々議員は市民から「個人の名前」で投票していただいたのだ。候補者のひととなり、考え方、経歴、年齢、性別など様々な用件で選んでいただいたのだ。その要件の一つに政党もある、にすぎない。だから、議員(ひと)があって、その後に会派や政党があるのだ。特に、我々地方議会に属する者は、皆そうである、と。 さて、日本は国会も県議会も市議会もみな議会制民主主義を採用している。議会制民主主義とは、市民の間接代表者がそれぞれ意見を戦わせ、最終的には多数決で決めましょう、という方法である。市民の多様な意見を集約するには、多様な議員により最終的には多数決できめるのが最もよい方法でしょう、という了解がそこにはある。だから、「名前」で選ばれた我々議員は間接代表という使命を胸に市民の意見を聞きながら、しかし、自分の勉強をもとにして、自らの信念に従って議決に参加することが求められている。議員ひとりひとりが自らの信念に従って議決に参加したとき、多数決はもっとも良い形で民意を反映し機能した、といえる。 ところで、一方では、議会はさまざまな求めから「会派」というものを組むようになっている。議員が一人ひとり違うことを言って主張されたら時間が足りないし、把握しづらい。また、事務連絡するのにもいちいち時間がかかる。そこで、ある程度の集団になってもらい、議会運営を効率的に進めたいという求めが1つであり、もう一つは、集団化することで調査力や発言権を強くしようという議員側の求めがあるからである。 議会では年に百本以上の議案が提出される。そのそれぞれの議案に対し我々議員は、賛成か反対か、を決めている。多くの場合、方向性の同じもの同志、違った意見にはならない。だがら、会派や政党で同じ行動がとれる。しかし、何年かに一回は、会派の大勢と意見が異なって、どうしても譲れないという場面が訪れる。そうした場合、会派は同じ志を持つ集団という自縛から、会派で一致しないのはあってはならないこと、大勢に従え、そうでなければ、会派を離脱せよ、という圧力がかかってくる。 さて、こういう場面になったとき、我々議員はどういう態度をとるべきなのだろうか。そういう経験を、私は市議会議員の時にした。また、県議会に入ってからも目撃してきた。 私は当時、こう思った。 「なぜ、何百本の議案のうち、ほとんど同じ意見なのに、たった一つだけ会派(政党)と違う意見を持っただけで『ならば会派(政党)を抜けろ』といわれなければならないのか? たしかに会派(政党)は、大きな枠、方向性で一致している人々で構成される。しかし、何百本もある議案に対して会派(政党)の議員がすべて常に同じ意見であることのほうがあり得ない話だし、とても気持ち悪いことなのではないか。 また、「この議案が会派(政党)の存在理由の根幹に関わる議案なのか。会派(政党)結成時の思想的柱に抵触もしないのに、一つたりとも会派(政党)と違う意見を持ったらすぐ追放というのは、会派(政党)のおごりではないのか。」 そして、こう思った。 「こうやって会派ごとに意見を集約させてしまったら、議会制民主主義はうまく機能しないではないか。議員たちの意見が会派によって3つや4つの固まりにくくられしまって、それで本当の民意を表したことになるのだろうか。また、これでは、いつだって最大会派の決めたようにしか決まらない。でも、議員がおのおの自分の信念で議決権を行使したら、違う結果が出ることもあるのではないか。」 県議会においてはそれが顕著である。県議会は94人の議員が各市町村から選ばれて、なりたっている。民意を反映するとは、最終的には多数決で決める、ということだから、県議会も全て多数決で決めている。多数決は94人でやるなら94人がおのおの議案ごとに自らの気持ちに真摯に賛成反対を表明する時が一番機能したといえるのだろうが、しかし、いつも政党拘束してるから、自民、公明、共産、民主、地方主権の5つの固まりがどう表明するかしかパターンはない。しかも94人の議員のうち64人は自民党。表現は悪いが大きな岩が1つと小石4つのようなものだ。だから自民党の決定が議会の決定だ。他の会派の存在意義は、議決においては残念ながら、ないに等しい。しかし、実際の所は議案に対して自民党64人の中で意見が割れ、やりあっていることは往々にしてあるのだ。それを党議拘束して最後は一つにまとめているにすぎない。だから、各議員の本来の意見を尊重すれば、他の政党、会派の意見と合わせて過半数になることもあるだろうに… さて、市議会議員の時は、紆余曲折を経て、私は会派から追放されることもなく、会派と異なる「反対」の議決をさせてもらったこともあった。会派の仲間たちが会派と違う行動をとる自分を許してくれたのである。会派の仲間に今でも私は感謝している。 そして、果たして、今回の国会において、郵政民営化関連法案に対して、そのことが証明された。党や会派にどうしても添えないとき、自己の信念に従って議決すれば、党や会派で拘束されたのとは議決結果が変わることがあるのである。そして、それこそが、より正確な多数決によるより正確な民意を表す結果なのである。そういう点で私は反対票を投じた自民党議員に敬意を表したい。 さて、今までのことは自民党に限らず、どこの政党にも言えることである。(むしろ、自民党が一番緩い。) アメリカでは、法案によって共和党議員と民主党議員が個人的に協力したりしている。作った法案にある民主党議員は賛成でべつの民主党議員は反対、ということもふつうにある。基本的に党議拘束はない。日本もそうした方が本当の議会制民主主義なのではないか。市議会も県議会も、そして国会についても、そう思うのである。 今回の小泉首相の仕打ちは議会制民主主義を壊すものだと思う。すなわち、まだ党内で煮詰まってもいない郵政民営化法案を出してしまい、自民党の綱領でもないのに、総理の最大の目標だからといってそれに違反した理由で党から追放し、おまけに対立候補を送るという方法はあまりにむごい。これで郵政民営化反対の気持ちある議員は、除かれ民主党が漁夫の利をえることになるかもしれない。だから、それを目の当たりにしては郵政民営化に反対の気持ちのある、欠席・棄権した議員は、自分の身を守るためにため賛成派に回るだろう。もちろん反対をした参議院議員も自死を避けようと賛成派に回る者も出るはずだ。執行部は、参議院には賛成に回る大義名分を与えるために少しの修正をしてやるのだろう。それで、反対していた議員も賛成に回りやすくなるからだ。 組織というものは歴史を経て大きくなると、その維持こそが目的になって動き始めることがある。しかし、組織のために人は存在するのではない。人があって、それを生かすために組織は存在するのだ。 あぁ、しかし、こうやって、議会制民主主義は消えていくのだろうか。 [ 関連した意見 ] |