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平成17年8月1日 第五号
クールビズ考皆がからっとノーネクタイになってしまって・・・
クールビズと言われて、
 国会がクールビズとかいうものになった。ありゃりゃっ、なんだこりゃっ。ちょっとだらしないんじゃない。なんてテレビを見ながら思っていたら、県議会も6月議会からクールビズになる、とお触れが回り、数日後には県職員もろとも、なってしまった。
 あっという間の、出来事だった。6月議会初日、10年前からそうであったかのように「ノーネクタイ、ノー上着」に一日にして成っていた。地球温暖化防止の一助としてクーラーを28度に設定する。それに伴って実行された施策である、と説明された。

「28度じゃ暑くてネクタイどころじゃないやね。」

地球温暖化を懸念する議員が、笑ってそう話していた。上着を着、ネクタイをして議場に入った私は、複雑な気持ちでうなづいた。

 夏であってもネクタイ・上着をするのが社会の礼儀、上質な会社員の常識、と見なすようになったのは、いつの頃からだったのだろう?
でも私はそういう風潮に、昔から懐疑的だった。夏に上着を着ることについてはばっかみたいと思ったりもしていた。
「そもそもクーラーがあるからそういうことを言っていられるんだ。クーラーがあるから上着を着、上着を着るからクーラーが必要になり、外へ暖気が放出され、だからよけいにクーラーは必需になって、結局際限なくなるんだ。そうやって人間は自分をペット化※して弱くなってしまうのだ! 東南アジアの首脳会議は、開襟シャツが正装だ。戦前も戦後復興期も会社員はみな開襟シャツだった。それでいいのだ。高温多湿な日本だ。湿気の少ない欧米の真似をしたってしょうがないのだ。」そう思っていた。

 だから、ノーネクタイ、ノー上着に私は大賛成、なのである。一刻も早くクールビズを実践したいのだ。
 しかし、そう簡単に、わたしは豹変できない。私には私の事情がある・・・。

議席につくと、椅子深くに腰をしずめ、前方を遠く見やったあと、私は静かに目を閉じた。

 私が教師をしていた頃、社会の大人たちは、時々こんなことを言って、教師たちを批判していた。
 学校の先生なんだから、教えるときの服装ってものがあるだろう。黒板に向かう先生は大人の代表でもあるんだから、やはり教師らしくワイシャツにネクタイで教えて欲しい。
私もそう思ったし、中学の国語教師としてはそれが可能であったから、10年間、ネクタイを締めて授業をしてきた。(小学校の先生や実技の教師は動きやすい服装こそが正装だと思っているが。)
教室は若者たちが発する熱で40度に近くになった。ネクタイは汗で堅く結び目が締まり、ほどくのに苦労した。梅雨の季節は、湿気が水滴になり廊下はびしょびしょに滑った。それでも教師たる者とここまでやってきた。そういう人がたくさんいるのである。

 だから、突然、温暖化だから28度、だからノーネクタイとする、なんて言われても、「じゃあ、いったい今までのことは何だったんだ、と思ってしまう。」
冷房のない教室では28度なんて、暑いうちにも、入らない。

 また、制服はネクタイ着用の学校もあるはずだ。「暑くともネクタイは身だしなみ。まず形があって、その次に心がそなわるという面もある。きちんとしよう。」暑くてだらしない格好になる生徒たちに、そう言ってきた教師たちは、一体どうしたらよいのだろう。「昨日のことはすべて忘れて、今日からはネクタイをしないのが望ましい。センセイモシナイカラ。」と言えとでもいうのだろうか。大人同士は可能でも、子どもたちにはそんなことは通用しない。そんなに心は、すれていない。
 
 思いながら再び目を開けて、見れば、自分の前には、教師の教師たる教育長はじめ、すべての部長、管理職がノーネクタイで座っていた。振り向いて見渡せば議員たちもまた、そうだった。
 その日の夕刻、県立学校に何本か電話してもらい、お達しがあったのか聞いてみた。「一斉に、そうしなさい。」とお上から指導があったそうだ。「時間をかけて、今までの経過も考慮して生徒に説明がつくよう配慮して、その上で実行まで持って行くことがのぞましい、なんて配慮はお上(教育委員会)からはなかったそうな・・・。

 ノーネクタイノー上着。だから私は確かめなければ、この施策を実行できない。お上に対し確かめて、問いただして、学校のこと、教育のことを思いやらして、そうして自分自身で自分の心の腑に落ちさせたとき、私は初めて実行できる。そして、それからは、これを率先して実践したい。単なる思いつきやパフォーマンスにさせないためにも、行政に、きちんとさらなる施策を実行させて、地球温暖化を食い止めるために努力していきたい。

 もう一度言いたい! お上(上司)が右といったら何も考えずにすぐ右へならえとできるのは大人の、公務員の世界、である。しかし、教育は、純粋な子どもたちを前に自分の信実をかけて伝えていくところだ。教育に携わるなら、自分の言葉に最後まで責任を持たなければならないのだ。何も考えないかのように「豹変」することは、許されない。

(後日潭)
 こう書いたのは7月初旬でありましたが、その後も私は迷っています。
議員の人たちもノーネクタイは議場だけで地元のパーティでは上着にネクタイに変身してしまいます。議会から帰る車は、どれも窓が閉まっていて冷房がきちんと効いています。これで徹底できるのか、単なるパフォーマンスに終わるのではないか、そんな心配すら感じます。その上で自分自身も思うこと、そして迷うことは、ノー上着は実践しても、ネクタイは、やはりするのが礼儀ではないか、ということです。特に厳粛なる議場では。28度なら十分ネクタイ可能だし、民間の会場では28度よりもっと涼しいのだからノーネクタイが馬鹿みたいではないか?28度なんてしゃらくさい、33度くらいに設定をさせること、それを日本全国一斉にさせること。タバコを徹底して排除したようにそれを徹底させてしまう施策こそが伴わなければならない。そういう気がしています。また、役所に来訪する業者に対してもノーネクタイを要求し、着用者には会わない、とか、自動販売機とか24時間営業の店とか車の数とか乗る人数とか・・・そういうものに対しても施策をする。そこまで伴っても良さそうな気がします。ちなみに自分の家は義理の母に懇願されて、去年初めて冷房を入れました。なるべく使わないように努めています。車でも、同じです。

※ペット化・・・自分の生きる環境を人工的に自分の都合のいいように変えて、そこで成長していくこと。結局そこでしか生きられなくなる。ペット化された生き物は体毛がなくなる、一部だけ体毛が長くなる・・・、などの共通した特徴を持つ。

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masato@gutsfujimoto.com
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