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教育情報記事
平成19年12月5日
今日のテーマ
| 1 | 昼休みを1時間に出来るという報告 |
| 2 | 教育課程部会が発表した「審議のまとめ」についての報告 |
先の2月議会に昼休みは45分間、と定めたが、4月からやってみて支障が多いので、
申し出により1時間休みにできるように12月1日からできるように変えた、と報告があった。
(ただその分帰る時間も遅くなります)
【藤本感想】
これについては自分も自民党内では動きました。「昼休み45分なんて、それじゃあ休みにならない。近所の飲食店も客が来なく困っている、県庁周辺の街は県庁で持つという面が大きい、などの理由からです。なお、学校の先生については、小島よしおじゃないですが、そんなの関係ない!そんなの関係ない! ハイ、オッパッピー、ですね。そもそも書面上休むと決められている休憩時間、昼休みなんか実際は存在しないんですから。いやむしろ給食の時間から昼休みは、(掃除の時間とともに)指導が必要な最大の苦しい時間なんですから。こんなところからも学校の現場のことがなかなか理解されていないことがわかります。
○中教審の教育課程部会が発表した「審議のまとめ」についての報告。その後各委員から意見などを委員長(高橋史朗委員長)がもとめたところ
<平井委員>
新学習指導要領では「言語活動をもっと充実する」となった。コミュニケーションの力も列記されていて自分も大切だと思うが、そのためには普段の勉強と入試を連動させるのが効果的である。高校入試においてそれらを測るようなものにしてほしいがどうか?
<答弁・課長>
平成22年度から入試改革を実施し、5教科を入試科目にするなどする。入試の場合は「正解に幅がない、揺れない」必要があるが、新学習指導要領をふまえ問題も作るし、話す力、コミュニケーションの力を測れる問題を作ることについて関係部署で検討したい。
<松居委員>
新しい方針を読んでも、やはり「生きる力」=経済界で優秀なサラリーマンになる、というか経済競争に勝つための力、というような匂いがしてしょうがない。しかし、生きる力ってそういう一面だけでない。経済競争にはみ出す子どもも生きる力は持っている。たとえば、0〜4歳の子どもと対すとき、むしろコンビニ前でしゃがんでいる少年達の方が人気が出る、ということがある。彼らは乳幼児によって自信を持ち、魅力を自覚し、自らの生きる力を発見する。その例からもわかるように様々な生きる力を引き出してやるようにするのが肝要だ。(文科省のいう生きる力まっしぐらでは危ういのだ!)
また、「生きる力」と併せて申し上げれば、自立、自立と近頃よくいうが、それも「個として立つ」ことを目標にしすぎではないか。本当は家族とか家庭とか、掛け引きなしで信頼できる基盤(絆)をしっかりさせ、その上で独立していくのでなければ、それは危ないのである。協力して生きていける力=生きる力でもあるのだ。学校がない国、社会の方が生きる力がある、ともいえるくらいだ。学校社会、システムがむしろ、人間の生きる力を削いできたともいえよう。助け合える人間関係を作る力=生きる力という面もある、ということだ。その点を気をつけたい。
<石川委員>
「生きる力」についてさらに言えば、国の方針に沿って「生きる力」という言葉を(何も考えなしに)使っている校長さんを見てきたが、そういう校長の学校に成果は少ない、と自分は感じてきた。生きる力とは何か、自分のものになっていないとだめなのだ。
新学習指導要領になっても、見たところその指針、方針は何も変わっていない、ただただ、教える内容が増える、時間が増える、ということだけだ。しかも、週5日制は堅持するとある。そこで是非お願いしたいのは、現場と教育委員会は連携をもっととれ、ということだ。現場の声をもっと把握して進めないといけない。というのも量を増やし5日制堅持なんて本来難しいことなのだから。この際申し上げれば、週5日制ができたのは大会社の社員が週5日制になり、公務員が5日制になり、そこで教職員もそうしたという流れなのだ。週5日制が子どものゆとりのために作られた、と考えるのは誤解である。
・もう一つ、今日の新聞は一面を教育関係が賑わしていたが、OECDの学力調査、図書費の使い方、について県の見解を出しておく必要があると思う。
<犬飼委員>
人間性はスポーツが担っているところが大きい。世界では学校教育とスポーツは分離しているのが常識だ。日本だけが学校教育の中で、言ってみれば片手間でやられている。教師に負担をおかけして、である。スポーツは金もかかるし、独立して進めるのが世界の潮流だ。スポーツを教育から独立させるべく、国にも県から言ってほしい。
小学校で英語をやる、とある。それには反対だが、まあ、会話なら良いかと思う。それよりも中学になると文法中心である、というのが自分は解せない。世界の中で日本人だけが文法を気にして会話ができない。会話をもっとさせるようにしてほしい。
<高橋委員長>
「指導」をはばからないようにしてほしい。また否定的にとらないように留意してほしい。県内ではどういう状況だったか。基本的な生活確立、食生活、生活習慣などの改善が学力その他にも大きく影響する。だから、そういう方面も重視してほしい。
<答弁・課長>
国のある人の話が過大解釈されて県内でも「指導は極力せず支援すべし」という流れが一部にあった、と把握している。平成11年の「学びのススメ」でそれも解消されたと認識している。言われたことはその通りである。そうしていく。
【藤本感想】
各委員さん良い意見を言われるなあ、と思う。みんな一家言持っていてその道のエキスパートだ。ただ惜しむらくは、言いっぱなしになっている傾向がある。この5人衆こそは「教育委員会」の首脳なのだから、事務局の人々に「これをやること」と明確に指示するよう、会の進め方を変えたらどうか? そのためには、会で一つの主張に絞り込む作業が必要である。
今は事務局が用意した議案、報告を聞き、それを議決し、また、各委員が個人的に意見を言い、指摘するにとどまっている。事務局も頭がいいから適当に「おっしゃるとおり!!大切ですね。検討します。」で答えてしまっている。事務局の方も教師出身者がいるのだから譲れないところははっきりさせ、討議していかなければ、(話が)深まることも、(学校に対する)一般社会の誤解を解くことも、改善することも、特色を出すこともできないのではないかと思う。ガチンコがなければ、教育は良くならない、ということだ、それは学校という教育現場でも行政の教育委員会の場でも同じなのだろう。
そう考えて、ふと自分自身を見れば、まさに委員会の姿が教育委員会のそれと全く同じで終わってしまっている。
慣れてはいけない。反省である。